今、私は身体を持ちませんが、私の仕事はまだ終わっていません。人は、私の仕事が病院や学校を建てることや、ダルシャンとサットサングを与えることと思っているかもれません。いいえ、違います。それらすべては、目的を達成するための手段でしかありません。本当のゴールは人類の変革であり、そこでは、すべての男性とすべての女性が無私の愛でハートを満たし、生きとし生けるものを自分自身として愛します。「あなたを愛しています、スワミ」は、単なる言葉に過ぎません。皆さんを愛し、皆さんに親切な人を愛することは容易なことですが、辛辣な人さえも愛するのが真の愛です。真の愛は、皆さんを愛していない人々さえも愛します。愛は何の見返りも期待せず、愛し返されたいという考えさえもありません。それは与えて許すことのみを知っています。そのような愛を育みなさい。スワミがはるばるやって来たのは、これを皆さんに伝えるためです。このような愛をハートに持つとき、どこにいても、皆さんは「私」になり、永遠となり、行ったり来たりすることはなくなります。
これまでの出来事は、サティヤサイとは何かということに対する、ほんの序章に過ぎません。本当の物語は、これから始まります。この物語の一部になる祝福を受けなさい。この歴史の一部になる祝福を受け、そして不滅とは、富や子孫にあるのではなく、良い行為によって勝ち得た名声のみにあることを覚えておきなさい。それゆえ、いつでも良い仲間の中にいなさい。良い思いと言葉と行為を持ち、常に良いことをしなさい。そして、何が真理で何がそうではないかを覚えておきなさい。
皆さんのスワミはどこにも行ってはいません。どのようにスワミが行くことができるのでしょうか?身体から影をどのように切り離すことができますか? 両者はともに存在しています。身体があれば、影があります。スワミがいるのであれば、皆さんも存在するということです。もしスワミが一瞬でもいなかったとすれば、皆さんは誰一人として存在することはできなかったでしょう。スワミの存在の証拠は、皆さんの存在です。それ以外のスワミの存在証明はありません。皆さん全員が生きているというまさしくこの事実が、スワミが生きているという証です。スワミは皆さんと違う存在ではなく、皆さんもスワミと違う存在ではありません。皆さん方はすべて私の一部です。共に、私たちは一つです。
狭い了見や自分勝手な考えで互いを区別してはいけません。むしろ、すべての利己心を棄てなさい。世界全体を包み込むことができる、拡張する愛の感情と寛大な感覚を育みなさい。これが、スワミが創ろうとしている将来です。スワミから受け取ってきたものを、皆さんのようにスワミが近くにいたとき、幸運に恵まれなかった他のすべての人々に、与えることができるように、私のもとに来て、私に加わり、私と共に働きなさい。今、皆さんは私を連れていき、皆さんを通して他の人々がスワミの愛を体験できるように助けることは、スワミの帰依者としての果たすべき義務、重大な責任です。私の道具になるだけではなく、私になるのです。私になりなさい!
(2015年4月 クロアチア、本文9-10ページ)